こんにちは、カズミィです。
いま読んでいる本の中に、上阪徹さんの「書いて生きていくプロ文章論」という一冊があります。まだ読み始めたばかりなのですが、すでにたくさんの学びがありました。
その本の中に「誰かや何かを批判する文章は比較的書きやすいものだ」という一文があります。これは、上阪さんが先輩ジャーナリストから聞いた言葉だと紹介されていました。
「文章を書く怖さ」は、ブログだけではなく、メールやSNSにも当てはまるとも書かれています。何より批判的な文章は、書くことが上手くなったような錯覚を起こすとのこと。
なるほどと思いました。
この言葉をきかっけに今回の記事を書くことにしました。文章を書く怖さを含め、私が過去にSNSで行った「間違った親切」についても触れようと思います。
ブログを書くことSNSを使うこと
批判が賛同される理由と批判文が書きやすい理由
文章を書くときに必要なエネルギーは、誰かを批判したいという強い思いによって、一時的に(あるいは継続的に)後押しされる形で代替えできるのかもしれません。思いが強いほど大きなエネルギーになるはずです。
批判を書くと賛同される理由
言いたいのに言えないこと、誰にでもありますよね。そして誰もが代弁してくれる人を探しています。ブログだけではなくメールや会話でも同じです。
例えば、「すごい」の裏側にある「妬ましい」という思いを、人は口にすることを嫌がります。自ら語ってしまうことで、自分の価値が下がることを知っているからです。
同時に「誰が言い出したのか」は、後々重大な意味を持つことも分かっています。
成功をたたえる行動を美徳とする世の中に口をふさがれたまま、先頭になって代弁してくれる人を探しているのです。
ネット上にある嘘
自分では言いたくない内容を、誰かに語らせるよう誘導する文章もあります。
SNSに不慣れなことを理由に「仕方がない」「知らなかった」では済まないこともあるので、気をつけて見極めなければなりません。私は未だSNSには不慣れなため、難しく感じることも多くあります。
たくさんの情報に触れながらも、自分の軸をシッカリと守った上で、ひと呼吸おいて良く考え、自分の意思に沿って発言を選べば後悔は減るのではないかと考えています。
SNSに公開された悩みごと
本当に苦しんでいる方と不幸を演出する方を見分けることも、簡単なことではありません。
たとえ「心配で何とかしてあげたい」という思いで行動しても、様々な理由を持って待ち受ける危険があることを、最近になってやっと知りました。
親切のつもりでしたことや、助けたい思いでした助言を、悪意を持って受け取られたら悲しいことですよね。
言葉が足らないと誤解を呼ぶ?
同じ言葉を使う場合でも、誤解をされるときとされないときがあります。
悩み事を持って落ち込んでいるときは、物事を悪い方へと考えやすくなっている可能性もありますし、信頼関係の有無によっても捉え方は大きく変わるのは当然のことですよね。
信頼関係があれば、よほどのことではない限り誤解されません。相手の意図をくみ取る準備があるからです。
では、悩みをSNSに上げた場合はどうでしょうか。
ネット上で悩みを打ち明ける場合
悩み事をネット上で公開すると、当たり前ですが、不特定多数の人から回答を得る可能性があります。
ネットで悩みを打ち明けた時点で、「自分のことをよく分かってくれている信頼関係のある人にだけ知って欲しい」そして「そういう人たちにだけ答えて欲しい」という部分がなくなります。
この場合、悩みをSNSで発信した本人は、信頼関係のない相手からのアドバイスに対して自分が持つことになるかもしれない誤解を、ある程度考慮しながら、気に入らない意見も聞く覚悟を持たなければなりません。当然、「相手は自分のことを良く知らないのだから仕方がない」と思いながら話を聞くことになります。
もちろん、明らかに悪意がある言葉遣いや嫌がらせのようなことを繰り返されるのなら、それはもう「誤解」ではなくそのままの「悪意」だと思います。こちらは誤解には含まれません。
SNSで悩みに回答してくれる方々は、発信した悩み事に特化した解決方法を考えてくれますし、過去の自分が同じような悩みを解決した方法を教えてくれることもあります。
ネットに上がった悩み事への助言
次に、ネット上にある悩み事に対して助言をしたいときはどうでしょうか。
ネット上で大変な悩みを抱える方を見かけると助けてあげたいと思うことがありますよね。自分が経験して解決できたことならなおさらです。
ただ、そこには間違いが潜んでいる可能性があります。
過去に私自身も、とても重い内容の悩みを見てアドバイスをしたことがあります。しばらくして後悔しました。SNSで発信している内容だけでは判断できない。そう思ったからです。
その悩み事は本当のことなのか、それとも演出なのか。本当だとしても、何かをしてあげたいという気持ちは「思い上がり」なのではないか。
どんなに大変な悩み事のように感じたとしても、本人は解決方法やアドバイスを望んでいない可能性もあるのです。
ネット上でのやりとりについて
話が少しそれましたが、実はつながっていることに気付くと思います。
批判をする側の心理です。
何か(あるいは誰か)を批判したいとき、また、批判をすることで自分の立場を確立したいと考えたとき、ときとして思いがけない行動をとる人はいます。
それは「いじめ」へとつながる心理と似ています。
甘えと油断により足をすくわれないように
ブログを書き始めてから誤解を呼ぶような文章に出会うと、「こういうことが言いたいのだろうな」と、なんとなく分かるようになりました。
同時に、文章を書くことを日常にしている方なら、自分と同じように分かってくれるだろうという甘えがあることも否めません。
日常的にSNSなどで文章を書きなれている方なら、もしかしたらこの感覚を理解してもらえるかもしれませんね。
最近、このような甘えや考え方がとても危険なことだと気付きました。
誤解を呼ぶ大きな原因
誤解されてしまう原因は、大きく分けてみっつあると思うのです。
信頼関係があるにもかかわらず、相手を傷つけてしまう内容だった場合がひとつ。
信頼関係があるないにかかわらず、受け取る側が不快に感じる内容だった可能性がひとつ。
最後のひとつは、受け取る側が悪意を持って受け取ったときです。この場合、(待ち受けた悪意により)批判の対象になってしまいます。
ブログを書くことで解決することと注意すること
SNSで発信された悩みの場合、発信者は解決のために誰かの意見を求めたいわけではなく、発信することでラクになりたいだけかもしれません。
発信者が賛同を欲しい場合は、親切のつもりでしたアドバイスは押し付けになってしまいます。
少し前の項目でも触れましたが、過去にSNSで悩み事を見かけてアドバイスをした経験があります。その悩み事の重さを知っているために、事を重大に受け止めたからです。
その後、上記の可能性を知って反省し、直接アドバイスはしないよう気を付けることにしました。
これはSNSだけではなく全てに当てはまる怖さかもしれませんね。
ブログであれば相手に意見を押し付ける可能性が減ります。悩みを持った方がブログのタイトルを見て訪れたとしても、求める内容ではないと分かれば、ページを閉じて他の意見を探すことができるからです。
批判文は書きやすく反応を得やすい
上阪さんの本の中に、「まるで誹謗中傷をするだけのために文章を書くというのは、なんとも寂しく、悲しいものだな」という言葉がありました。
文章を書くときは、一度頭の中でまとめた内容をアウトプットしますよね。誰かを批判したいと思うエネルギーはとても強く、様々な思いを一気に吐き出すことが書きやすさにつながるのかもしれません。
本文には他にも、「自分がまるで文章が上手くなったような錯覚を持つことが落とし穴」であり、「批判をしない読まれる文章を書くことはとても難しい」とも書かれています。
何かを批判する文章、誰かに傷つけられたと訴える内容など、そのような文章を一括りに批判文とするのなら、反応を得やすいことは確かなように感じます。SNSでのコメントの書きやすさを考えれば、その理由は明らかです。
それでも、プライドを持って批判をしない読まれる文章を目指したい。そんな仲間が増えて、世の中が生きやすくなっていくといいな…と、思っています。
難しくても努力することは大切
悪意を持って待ち受ける第三者の存在があるかもしれないことを、忘れずに行動することも大切ですよね。
世の中には様々に異なる考え方を持つ方がいて、それぞれが色々な意見を持っています。万人から理解されることは難しくても、文章を書くときは人を傷つけることのないよう、できる限り気を配りたいと思っています。
ブログだけではなく、SNSやメールも同じかもしれませんね。
まとめ
SNSの初期に使われたmixiは、比較的に守られた世界でした。
今ではたくさんのSNSがあり変化を続けています。SNSにより世界は広がり、たくさんの方々と知り合うことができるようになりました。
顔見知りではない不特定多数の中で発信する怖さを感じる理由は、どんなに気を付けていても、誰かに不快な思いをさせる可能性が潜んでいるから。
でも、たくさん人が集まれば、人それぞれに考え方が異なるのは当然のことです。全ての人から理解を得られることは不可能ですよね。誰かを不快にさせないかと考えてばかりいたら何も発信できません。
文章を書くことを怖がるだけではなく、様々な意見があることを理解したうえで、自分の意見も発信していきたいと思うようになりました。
長文にも、短文にも、楽しい文章もあれば人を傷つけてしまう文章もあります。
誰かが楽しめたり、誰かを助けたりする文章を書きたいという目標を、反省を抱えながら、未熟ながらも見失わないように持ち続けたいと思っています。
カズミィのひとり言
ブログを書き始めてからちょっとした悩みができました。
長い文章を送る必要があるときに、導入文と結論を書いてから中身を書いていく癖がついたのです。それ自体は良いことだと思うのですが、途中で誤送信をすると失礼な内容になってしまいます。
相手がブログなどの文章を書く方なら、「分かるよ」と、笑いながら理解を示してもらえることもあります。でも、そうではない方へ間違えて送信してしまうと、恥ずかしい思いをしながら言い訳のような説明をしなければなりません。
こうして笑って済ませてもらえるのは、お互いに信頼関係のある相手だからです。そうではない方に失礼をしてしまったときは、本当に申し訳ない気持ちになり悔やんでも悔やみきれません。
気をつけなければいけませんね。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。
このブログを書くきっかけを与えてくださった上阪徹さんに感謝をしつつ、誤解がないように、分かりやすい文章を書けるように、これからも勉強を続けようと思うカズミィでした。
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