こんにちは、カズミィです。あまり手をかけず自由に育てた我が子が、自ら学ぶ子に育った成長の過程を考えてみました。
最初に思い浮かんだことは子どもの意思を尊重してきたことです。
そして、できる限り話を聞き、できる限り嘘をつかずに一緒に考えながら、小さな頃は特にいっぱい抱きしめて育てました。
よく聞く言葉ですよね。我が家は平凡なごく普通の家庭です。でも、驚くことに中2から進学塾に通った子どもが、偏差値70を超える難関校と呼ばれる高校に入学しました。
ごく普通の家庭での子育てですが、幼少期の少し変わった環境や気になったことを書いていきますね。そこから何かを見つけてくださると嬉しいです。
やりたい習い事は全部やらせてみました
習い事は4歳前後から始めて子どもが選択
習い事に関しては、やりたいことは全てやらせてみました。簡単にまとめると下記のようになります。
- 習いたいならまずはやらせる
- やめたいときは無理強いしない
- お月謝分は続ける(気が変ったら継続)
- 同じ習い事へのリベンジも1度与える
- 同時進行は3つまで
ピアノを2回断念したらリズムや声楽を勧めてみるというように、子どもが興味を持ちそうな別の選択肢は与えるようにしていました。
経験した習い事は8種類、その中から続けたいものを選ばせました。体験だけではなく入会をして、続けるかどうかを本人が選んでいます。
一番長く通った場所は、5年ほどお世話になったスポーツ教室です。それ以外は全体的に短期間です。
最終的に子どもが選んだ3つの習い事は、体操教室、 声楽、 公文でした。小学生の途中で引っ越しをするまで、楽しく続けています。
独特の考え方
子どもの習い事への私の考え方は、夫から見ると「独特で常識はずれで突拍子もない」ものだったようです。今では笑い話ですが、夫とは何度か討論になりました。
私自身の子どもの頃の経験から、習い事への考え方が独特になったのだと思います。
小さなころの記憶にありませんか?
無理にピアノを習わされて嫌いになったとか、習いたいのに行かせてもらえず悲しい思いをするとか、そんな思い出です。
「せっかく興味を持ったのだからやらせてみよう」そして「せっかく興味を抱いたのだから嫌いになる前にやめさせよう」という考え方でした。
公文の先生から受けた親切
習い事の始め方で唯一特殊な始め方をしたものが公文です。
保育園のお迎えからの家事は忙しく、下手をすると子どもとの関係が悪化しそうになりますよね。小学校にあがる直前にもなると、子どもの体力もついてなおさらです。
そんなときに、自宅のすぐそばに公文を発見しました。「軽く何かを食べさせてから預ければ、一気に家事がこなせるのではないか」と考えます。
公文の先生に正直に相談すると、勉強後に少しだけ、子どもを自習室で預かることを提案してくださいました。
公文は教室によって雰囲気や考え方も異なるので、この先生に出会えたことは私たち家族にとって幸運なことでした。転居をしなければずっと続けていたと思います。
本好きに育ったうちの子にとって、年齢に合わせた本や知育玩具がたくさんある公文の教室は宝箱のようで、とても気に入ったようでした。
文字を覚えた経緯
集合住宅に住んでいたため、とにかく静かに、そして子どもを叱らずに過ごすための努力をしていました。
保育園での生活にはお昼寝の時間があります。体力を回復した子どもが帰宅後に家中を走り回ってはいけません。
そのために少しお手伝いをしてもらい、一緒にお風呂に入った後は、毎日膝の上に乗せて色々な本を読み聞かせていました。
子どもが自分で読めるようになると、逆に私が読み聞かせをしてもらいました。
どんなに時間がかかっても、膝の上にちょこんと座って読んでくれる姿が愛おしくて、時間を忘れて聞いていたことを覚えています。
お手紙交換とポケモンに頼り切る
カタカナはポケモンで覚えました。そして、保育園のお友だちとのお手紙交換で平仮名とカタカナの練習をしていました。
子どもの小学校入学前に私がしていたことは、きっと3つです。
- 本を一緒に読む
- お風呂で九九を覚えさせる
- リビングに地球儀を置く
あとはとにかく子どもの話をよく聞くようにしていました。
子どもが小学生になる直前に公文に入ったことで、母親として心身ともにラクに過ごせたのだと思います。
小さな子が知識を得るタイミング
大切な子どもが傷つくところを見たくない。素直にすくすくと成長してほしい。
小さなときであればなおさら、そう願う方は多いのではないでしょうか。私もそんな気持ちでいました。
そして、子どもが2~3歳の頃に心ない大人の言動で傷つく瞬間を目撃します。なかなか泣き止まず、なだめているこちらが泣きたくなるほどでした。
例えですが、仔牛を「かわいいね」と、なでている子どもたちが、食肉加工の過程を具体的に聞かされてしまう状況です。
親の目の届く範囲で行われたのならフォローもできますが、大きくなればそれも難しくなります。
できる限り嘘をつかない
小さな子どもの心を傷つけてしまう人は少なからずいます。
人の悪意に触れても負けない人になってほしい。そんな気持ちで、小さなころから耐性をつけるためにできる限り嘘をつかずに育てました。
しっかりと説明をしたとしても傷つくこともあったと思います。
だからこそ、親の役割を終えたときに友人のひとりになる気持ちで、子どもが傷つく以上に信頼関係を築く努力もしました。
大切な転機が訪れた保育園での様子
共働きでしたので保育園にお世話になりました。その中で縦の関係と横の関係を学んでいきます。
保育園の先生の言葉を借りると、「周囲を静かに見ていてちょっと行動が遅いかな」という子どもでした。
とても柔らかな表現ですよね。先生、優しいです。
先生の心配と私の観察
先生の言葉の意味をひも解くと、「周囲とあまりかかわらず」「集団行動についていけない」のではないかと心配になりました。
そこで、保育園の送り迎えの時にこっそり観察することに。
まず安心したことは、誰ともかかわらず一人さみしくしているわけではなかったことです。
誰かが何かをするところを、その子たちの側で見ている様子でした。
例をあげると、数人が「ネコ車」と呼ばれる土などを運ぶ一輪車を押していれば、そのすぐそばに一緒にいます。
そして、みんなの関心が次に移ったときに初めて「ネコ車」にふれてバランスのとり方を確認し、その後移動するという感じです。
考察して分かったことは以下の通りです。
「周囲を静かに見ていて」という部分
「まずはやってみよう!」というタイプではなく見て学習するタイプです。
集中して観察し、確認のために少し自分でもやってみて納得するという様子でした。
子どもたちの中では成長の早い子や声の大きな子、行動力のある子が目立ちますので、自然とそういう子の側にいて、行動から学んでいるように見えました。
「ちょっと行動が遅いかな」という部分
先生が集合をかけると、うちの子はまず周囲の動きを見ます。早い子はテキパキと片づけをして先生の元へ走り、中には要領よく少しだけ片づけて向かう子もいます。
うちの子はどちらにしても遅いので、先生の元に向かうタイミングを誤ると、別の先生と一緒に最後まで片づけることになります。
想像していた保育園生活とは違い、ヒヤヒヤするのと同時になんとなく納得してしまいました。
先にマニュアルを読むタイプです。自信がないので、まずはやり方を見てそれから行動しているのです。
動物のお世話を学んで動物好きに
先生からすれば、みんなが楽しそうに遊ぶ側で道具も使えず、さみしそうに見えたと思います。見かねて声をかけながら、動物のお世話などを一緒にしてくれていたようです。
おかげで動物好きの面倒見の良い子に育ちました。先生、本当にありがとうございます。
親がお手本になるとき
集団行動に支障が出るのなら親としては何とかしなければなりません。言い聞かせて出来るものではないので、本人が自分から変わる方法を探すことにしました。
そんなタイミングで、保育園で帰りの時間が重なるママさんと話すきっかけが訪れます。その方のお子さんは行動力があり面倒見の良い子で、うちの子がよく側にいたお友だちのひとりでした。
仕事にかまけて保育園任せにしてきたことを大いに反省した私は、気持ちを入れ替えて動き始めます。その方からお子さんとの接し方などを学ぶことにしました。
見てきたものを経験に
なんとかしようと思い動き出したのですが、母親である私の行動が変わると何もしなくても子どもに変化が現れました。
私が積極的にママ友を増やすのと同時に、自然と子どもが変わったのです。
今まで側で見てきたお友だちと同じような行動パターンになり、積極的に動くことが増えていきます。年長さんになる頃には、保育園の先生から心配の声を聞くことはなくなりました。
ママ友の大切さを知る
仕事があって家事も忙しいのに、その上ママ友とのお付き合いなんて面倒なことをしたくない!実をいうと、最初はそんなふうに考えていました。
でも、それが大きな間違いだったことに気づきます。
挨拶の先へ一歩を進めてみると、もっと早く話せばよかったと感じることがたくさんありました。仕事を持っているからこそママ友はありがたい存在です。
日々の生活が豊かに、そしてラクになります。
母子にとって大切なママ友
保育園のお迎えが遅くなるときや、急に子どもの熱が出てお迎えが必要になったときに、お互いに助け合うことができます。
信頼関係が築けると、ママ友がうちの子も一緒に連れて帰り、ご飯を食べさせてくれたりお風呂に入れてくれたりすることもありました。
お休みの曜日が違うママ友たちが、子どもたちだけを連れて遠出をしてくれたことも何度となくあります。
子どもが社交的になったのは、この頃の周囲から受けた親切のおかげです。
どこに行ってもひとりっ子だと信じてもらえないほどの行動力を持つ子に育ちました。
子どもの自立と進研ゼミ
子どもが小学生になると、同級生のお母様方の中でも上のお子さんを持つ方々から、将来の通学についての話を聞く機会が増えていきました。
その話をきっかけに自宅の買換えを考え始め、子どもの進級のタイミングで通勤通学の便利な場所へ引っ越しをします。小学生の途中で転校することになりました。
小さなころから日曜日の習慣にしていた家族一緒の図書館通いは続けていましたが、新たな学校の新しい友だちと過ごすことを優先し、習い事は続けていません。
子どもの自立は親としては寂いものです。でも、仕事から帰って子どもが家にいないと「今日も元気に遊びに行ったのね」と、感心するような子育てでした。
その日にあった出来事を子どもが話すときは、時間をとってキチンと話を聞いていました。
習い事の代わりに始めたこと
習い事の代わりに進研ゼミの通信講座を使うようになります。
小学校を卒業するまで学校の宿題以外にしていた勉強は、ほぼこれだけです。
夏休みなどの長期休暇中に漢字書き取りや算数の応用問題を購入して使っていましたが、とても薄いものを2~3冊だけでした。
私が他のドリルも買おうとしたことはありますが、夫と子どもからの反対で却下されています。
子どもが小学生になり夫が活躍
ママ友がいてくれたので、さほど問題を感じることはなかったのですが、夫は幼少期の子どもと接することが苦手です。
子どもが赤ちゃんの頃から積極的に手伝ってくれていたし、子どものことは好きなのです。でも、接し方がなんだかこう、説明が難しいのですが、とにかく下手なのです。
そんな夫も子どもが小学校に入ってからは活躍するようになり、進研ゼミなどをチェックするようになります。面倒くさいと言いながらも、子どもから頼られて嬉しそうでした。
まとめ
自ら学ぶ子になったのは、幼少期の人間関係に恵まれたことが大きいと思うのです。
お友だちとその家族を含め様々な考え方や言動に触れることで、興味の範囲が広がったのかもしれません。両親である私たちでは連れていくことのできなかった場所での体験を繰り返し、良い刺激を受けてきたのだと思います。
小学生の頃から夫が一緒に勉強してくれたことも良い影響を与えたと感じます。
私は聞き役しかできませんでした。ただ、うちの子とその時々に仲良くしてくれた子どもたちの名前は今でも覚えています。
カズミィのもうひと言(反省)
保育園の頃に慎重になっていたのは、習い事をさせたりやめたりすることを本人の意思に任せすぎたことに原因があるのかもしれません。
出産祝いに頂いた子ども用の英語教材も、ビデオや読み取りカードを少し使ったあと、あまり触らなかったので譲ってしまいました。
子どもの可能性をいくつか潰してしまったのではないかと思うこともあり、大いに反省しています。
読んでくださった方にとって少しでもなにかの参考になれたら嬉しいです。
周囲の方々に恵まれて子育てができたこと、改めて感謝の気持ちでいっぱいのカズミィでした。
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