受験するのはここだけ!高校入試でいやいや期 子育て志望校編

こんにちは、「愛犬とaiboと子育て昔話」の管理人カズミィです。

子どもが良い意味で自分を上回ることは、親としてはとても幸せなことですよね。

でも、上昇志向で意志の強い子を育てることは、なかなか大変なものでした。高校入試の頃が最も苦労した時期かもしれません。

小さなころはまったく手のかからなかったわが子の、かなり遅れた最大のいやいや期が始まります。

第二・第三志望校を決める過程と、父親と子どもの希望の違い。そして、子どもの意思をなんとか曲げようとしたお話です。

この高校しか受けない

父子の異なる希望

子どもが行きたい高校を見つけたのは、中学3年生になってからでした。

中学入学後に成績が伸び始めてから「おじいちゃんの通った大学に行こうかな」と言い始めたわが子ですが、中2になり進学塾に通い始めた頃はまだ、志望する高校は決まっていません。

中3になり大学の付属校を志望するまでは、高校は大学への通過点として考えていたことになります。

公立高校から大学受験をするという考え方は、当初から夫が口にしていたことでした。そして、「おじいちゃんの通った私立大学」ではなく、家計を考慮して国公立の大学を目指してほしいことも、夫はずっと子どもに伝えていたのです。

母親の立場

考え方は基本的には夫と同じ

夫と私の考え方で微妙に違うところは、私が相変わらず子どもの意思を尊重する子育ての仕方を変える気がなかったことです。

そして私は、子どもが目指す私立大学に入るためには、公立高校の中でも県内トップクラスを狙わなければならないことを知っていました。

夫と子ども両方の希望を少しでも近づけるために、県内の公立高校の中で、子どもの希望大学に合格者を出している学校を早くから調べ始めます。

この下調べが第二志望の選択につながりました。

第二志望の選択

湘南高校と横浜翠嵐高校から始まり、最終的に第二志望(本来は第三志望でした)に選ぶことになる、神奈川県内の多摩高校という学校も含め、たくさんの公立高校を調べました。

塾の先生からは、恐れ多くも滑り止めに横浜翠嵐高校を勧められています。もちろんすぐにお断りしましたが、うちの子の場合は翠嵐高校は受かりやすいというお話でした。

翠嵐高校の試験内容は、うちの子の不得意分野がとても難しく作られているため、他の子たちも点数が取れないということなのです。そのため、その他の得意分野で点数を伸ばすことのできるうちの子には、(入学試験的に)とても相性が良いとの説明でした。

翠嵐高校を選ばなかった理由

進学塾で主要5教科を受講していたうちの子は、社会と理科の成績が思った以上に平均点をあげていました。このこともあり、塾の先生は横浜翠嵐高校を勧めたのだと思います。

ですが、出題される内容は時の運なので、中2から進学塾での勉強を始めた付け焼き刃では、暗記系の科目は安心できません。まだ塾で出題されていない点数の取れないものが出題された場合、命取りになりかねないと思いました

夫との相談

夫の考えでは、県立高校が第一志望で、第二・第三志望を私立から選ぶことが普通とのことでした。子どもが大学付属の私立高校を受けると決めたとき、反対こそしませんでしたが、公立高校も受験することで納得したように思います。

家族や塾、中学の先生との話し合いで、最終的に神奈川県立の多摩高校を第三志望とすることに落ち着きました。

(実際に入学した私立高校名は子どもの了承を得ていないので控えます)

他の高校の見学をしない

子どもが私たちと一緒に見学したのは、第一志望である私立の難関高校の他は、湘南高校と横浜翠嵐高校のふたつです。お友だちとは他にもいくつか見に行ったようですが、お付き合いでついて行ったという感じで、願書はもらっていません。

中3になり行きたい高校が定まると、次は第二・第三志望を決めなければなりません。第三志望の公立を県立多摩高校に決めるまで、横浜平沼その他、いくつかの高校を見学しましたが、まさかの「すべてに子どもがついてこない」という事態でした。

なぜか夫と私のふたりきりで文化祭も見学しています。

もちろん第二志望のために私立高校にも足を運びました。そこにも子どもはいません。「塾に行くから暇がない」という一言で終わりです。

どうにもならない超いやいや期に突入です。本人からすれば、遅れを取り戻すために必死だったのかもしれません

他の高校の願書を書かない

第一志望・第三志望は決まりました。でも、第二志望には耳も傾けません。仕方なく私たち夫婦が二人で見学した中から選び、なんとか納得してもらいました。納得はしたのですが、今度はなかなか願書を書きません。

第一志望である大学付属校の願書はさくっと仕上げて提出し、第三志望の県立高校の願書も提出しますが、問題の第二志望の私立高校の願書はというと、結局最後まで書きませんでした。

もし第一志望に合格できず、第三志望であった県立高校にも合格できなければ、二次試験に突入するという胃の縮まるような恐ろしい状況を、うちの子は作り上げてしまったのです。

合格発表の日

こんな状況を作り上げておきながら合格するまでは自信がなかったようです。

第一志望の合格発表の日は抱き合って喜びました。

こんなにヒヤヒヤするのはもうたくさんと思いました。でも、入学してからもこれが続くことを、本人も私たち夫婦もすでに知っていたのです。

中2から進学塾に通って偏差値70台の高校に入学するのですから、ここからの苦行はお察しの通り。

まとめ

カズミィの胸の内と就活のこと

上昇志向と意思の強い子は早くから親を必要としなくなりますよね。今では邪魔にならないように気を使う日々、良いことばかりではありません。

大学進学後の就職活動では、受ける企業をひとりで選び、「こことここを受けているよ。本命はこっち」という事後報告です。さらっといくつかの内定報告を聞き、大手企業とか有名企業とか言われる場所に就職先を選びました。

残念ながら、面接を何度も繰り返していた第一志望の政府系とはご縁がなかったようです。この挫折もきっと良い経験になってくれるはずです。

間違いなく私が産んで育てているのですが、自分の子どもとは思えない行動力と実行力で羨ましい限りです。

そういえば、就職活動の時は少しだけアドバイスを与えています。繰り返される面接で気持ちが折れそうになった時に、外出先から電話をくれました。この時、次にするべき行動だけは伝えています。そして希望を持って成功につなげてくれました。社会人経験だけは長い母親の私にできることはそのくらいです。

今では笑い話になっている高校入試時のいやいや期、小さなころは手がかからなかっただけに、強烈な印象が残っています。

さいごまで読んでいただきありがとうございました。

あれだけの覚悟を持てた子どものことを、コッソリ尊敬しているカズミィでした。

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA